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カルナバ通信 Vol.1 歌詞に込めた思い①

みなさまおつかれさまです。カルナバ隊・サトキチです。

7月に入り、梅雨も開け、合宿も終わって…浅草本番までのカウントダウンがいよいよ本格的に始まった…!って感じですね。

今日は、大阪税関から連絡があり、ブラジルからの衣装が届いたことが判明!

もう少しでみなさまにお披露目できることと思います。(直しが少なくできるとよいな……)

 

本当はもっと早くこういう形を用意しようと思ってたんですが、わたくし本業もちょっと忙しくて出足が遅くなってしまいました。。。

短い間にはなりますが、今年のテーマを少しでも理解していただき、表現に役立てるように、サンバのこと、ブラジルのこと、パウリーニョのことを、カルナバメンバーがどのように感じとってどのようにアーラやエンヘードに落としていったのか、ちょっとずつでも伝えられればと思います。

 

そんなわけで、第一回目の今回は、つるちゃんとの共同発案者であり、今回のエンヘードの作曲者でもあるざわーにょに、詩に込めた想いや理由を語ってもらいました!

とってもボリューミィな内容だったので、2、3回に分けてお届けしますよ♪

まずは、Aメロまで。

◎ざわーにょのエンヘード解説◎

今年の曲は歌詞が例年より多いですが、一見意味が解らないようなところにもパウリーニョ・ダ・ヴィオラが作曲した曲へのオマージュで入れられた言葉であったり、彼自身がインタビューで言った言葉であったり、意味を持っています。

 

また、この曲ではブロックごとに場面が切り替わって進行し、今年のテーマである、ブラジル、サンバ、パウリーニョ・ダ・ヴィオラについて、

それに私たちがどう関わっているのかについて、次々と語られていきます。

ブロックごとのシーンの切り替わりを意識して大意を把握していると曲のイメージが掴みやすいはずです。

 

順に説明していきます。

◎まずBis Primeiro(一番目の繰り返しパート、日本語で言うサビのところ)

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O azul e branco traz a mensagem

Minha viola chama,pede passagem

「青と白の旗の色がメッセージを運ぶ

僕のギターが呼んでる。通しておくれ」

 

という和訳なのですが、Minha violaというのはもちろんパウリーニョ・ダ・ヴィオラのことで、

パウリーニョの曲、Guardei minha viola「僕のギターをしまっておいて」という曲のタイトルを意識して

「僕のギター」と「私にとってのパウリーニョ・ダ・ヴィオラ」とを重ねた意味になっています。

"pede passagem"「通しておくれ」はパウリーニョ・ダ・ヴィオラが導いてるから導くほうへ向かう訳ですが

「バルバロスの人が急にパウリーニョ・ダ・ヴィオラをテーマにするなんてどうなの?」って

言っている人たちに対してはっきり「私たちは通りますよ、道を空けて」と言う‥そんな意味が込められています。

 

Bárbaros entrega pro céu

homenagem ao samba do Brasil

「バルバロスは空へ返す

ブラジルのサンバへの敬意を」

 

この歌詞を解釈するには、パレードするときの事を思い浮かべてください。

パレードの道を行く、アスファルトを進む。

そこから誰にものを伝えますか?行く道に見上げれば空が広がる。

今回は遠い国ブラジルへのオマージュなのでメッセージを空に放ちます。

空にいるのは神様か、空に還った霊魂かと深読みは出来ますが

神様に託して地球の裏側に届くとするのが一般的な解釈かもしれません。

そんなわけでこの繰り返しのブロックは曲の余韻を残すリフレインのような趣向ですが、

ブラジル、サンバ、パウリーニョ・ダ・ヴィオラと今回テーマになった3要素が揃って出てきています。

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◎Aメロに入ります。

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O tempo é hoje,vamos contar uma história

Esse desfile revive a trajetória

do sambista,Paulinho da Viola

「その時は今だ。物語を語ろう

このパレードは足跡を辿る

サンビスタ、パウリーニョ・ダ・ヴィオラの!」

 

"O tempo é hoje"は2003年のパウリーニョ・ダ・ヴィオラのドキュメンタリーのタイトル「Meu Tempo é hoje」から取ってきています。

パウリーニョの敬愛するサンビスタWilson Batistaの作品でMeu Mundo é hojeという曲があり、その中でこう歌っています。

「俺の世界は今を刹那に生きるだけ。俺には明日なんて来ない」

この曲を引き合いに出してインタビューでパウリーニョは言います。"Meu Tempo é hoje"「私の時はまさに今だ」

サンバ史に数々のエピックを残したパウリーニョですが、昔は良かったと懐かしむことはしません。

自分の本分は今を生きている中にあると聞き手に伝えます。

そのパウリーニョ自身の言葉から冠詞を変えて"O Tempo é hoje"「その時は今だ」として曲の入り口にしています。

 

ここから続くこのAメロは、今回のパレードの導入部分と言えるでしょう。

この歌詞で浅草のパレードをする姿を思い浮かべてください。

パレードが何を表現して伝えるのか、パレードに出る人自身が歌って宣言する内容になっています。

「このパレードは足跡を辿る。サンビスタ、パウリーニョ・ダ・ヴィオラの!」と歌って全員がパレードをする、

歌ってパレードしている時点ですでにストーリーの一部になっている、という効果を狙っています。

 

Sua voz,cheia de carinho

Entre nós,cheiro de um chorinho

Os versos emolduraram o povo do brasil

Nessa esquina "rosa de ouro" se abriu

「その歌声は優しさに満ちている

僕らの間に、かすかにショーロの感覚が入ってくる

その詩句はブラジルの人々をまるで写真や絵画のように額にとらえた

その街角で、金のバラが一つ咲いた」

 

このブロックはパウリーニョ・ダ・ヴィオラ自身の音楽性について一気に語りを入れていこうという内容になっています。

パウリーニョについて語るとき、なんといってもまず思い浮かぶのはその優しく語りかけるような歌声です。

そして、荒々しいサンバとは一線を画して、洒脱で都会的な街角の音楽という風合いは

リオの伝統音楽ショーロから受け継いでいると言えます。

パウリーニョが書く曲の歌詞に目を向けると、歌に登場するのはリオに生きる市井の人々とその生活。

何事も上手く行かず飲んだくれて道で伸びている知人であったり、

賭け事に負けて困窮してしまったマランドロであったり。

パウリーニョの歌声は、そんな人々を見守るように優しく語りかけています。

 

街角で花開くもの、今年のパレードの構成でしばしばモチーフとなっている"rosa de ouro"「黄金のバラ」というのは、キャリアの初期、60年代にパウリーニョが先輩のサンビスタ達と公演を行った劇場でのサンバ演奏のショーの題名です。

サンバのアフロ的なルーツを物語るクレメンチーナ・ヂ・ジェズズという歌手をフィーチャーしました。

クレメンチーナ・ヂ・ジェズズは今年の隊列でバイアーナのモチーフになっています。

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いかがでしたか?

おそらくここまで詳しい解説は、歌練の時には時間的にできていなかったと思います。

第2回、3回もお楽しみに!!

 

※こちらのページはコメント機能付き♪ 

 もし何か感じられたらコメントをもらえるととっても力になります〜!

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コメント: 3
  • #1

    ちゃんおの (土曜日, 07 7月 2018 09:39)

    浅草サンバカーニバル史上
    最もブラジルに近く
    人々の記憶に残る
    最高のヂスフィーレになるでしょう!

  • #2

    こい (土曜日, 07 7月 2018 13:45)

    CDのライナーノーツを読んでいる気分にw

    熱いw

  • #3

    フクマリ (土曜日, 14 7月 2018 07:18)

    なんか感動しました…!