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カルナバ通信 Vol.2 歌詞に込めた思い②

みなさまおつかれさまです。カルナバ隊・サトキチです。

今週末はエンサイオに、全体作業に、北本2days!

日曜の夜はBBQですってよ!参加するっきゃないですね。

 

さて、第2回カルナバ通信は、先週の続きでエンヘード歌詞解説です♪

エンサイオや北本への行き帰り、電車の中で読むのにピッタリ。

◎ざわーにょのエンヘード解説2◎

◎今回はBis Segundo(二番目の繰り返しパート)からです。

日本語で言う中サビのこの部分は、サンバを育んだ所としてのホーダヂサンバのシーンを描き出します。

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Vem pra roda de samba,

Tem o cavaco emprestado

Não faltam pandeiro e tamborim

Na rua cantando,não vive o passado

Mas,o passado vive em mim

 

「ホーダヂサンバにおいで!

借りたカヴァコがある

パンデイロとタンボリンは欠かしていないよ

路地は歌っている、過去に生きてる訳じゃない。

そう、過去が自分の中に生きている」

 

"cavaco emprestado"「借りたカヴァコ」とあり、楽器がその場にあれば誰のものだろうとサンバが始まってしまうような身近な雰囲気を醸し出していますが実の所、これは「cavaco emprestado」というタイトルのサンバが有りまして、パウリーニョも1975年に録音しているのですが、それがネタになっています。

 

パウリーニョの先輩にあたる、マンゲイラのパデイリーニョ作のサンバです。

ベテランサンビスタの渋い曲を演奏してるようなトラッドなホーダヂサンバであることを匂わせていますが、この中サビのブロックで最も表現したいことは他にあります。

パウリーニョ自身の曲中のメッセージに対してアンサーを歌詞にするという形で、パウリーニョの作品と対話をしてみようと試みています。

つまり中サビはパウリーニョの曲へのアンサーソングになっているのです。

 

パウリーニョの1975年頃の代表曲Argumentoの歌詞のなかでこう言っています。

 

--  Tá legal,eu aceito o argumento    わかったよ、君の議論は受け入れようじゃないか

--  Mas não me altere o samba tanta assim    でも僕のサンバをあまり変えないでおくれ

--  Olha que rapaziada sentindo a falta      見なよ、若い連中が寂しがってるじゃないか

--  de um cavaco,de um pandeiro e um tamborim  カヴァコとパンデイロとタンボリンが無いことに対して

 

この歌詞に対してカヴァコもある、パンデイロとタンボリンは欠かしていないと歌って

パウリーニョのメッセージを我々のチームは受け継いでサンバをやっているんだよ、

と言うような表現になっています。

 

続いて"na rua cantando"「路地は歌っている」「路地で歌っている」といったところですが、

路地で歌声が響いてくる風景を思い浮かべれば、過去のことにくよくよしたりしないで

今の人生を謳歌しているようなポジティブな心持ちでいるのだろうと想像はできるでしょう。

しかし、この歌詞はそこにとどまりません。

 

続く、"não vive o passado"は例えばパウリーニョが幼少期を過ごしたようなサンバの黎明期、

そんな時代の過去を私達は生きていた訳ではないということを伝えます。続いて、

"mas,o passado vive em mim"しかし!歴史を刻んだ過去は却って、自分のなかに息衝いているんだ、ということを伝えます。

 

それでは、体験したことの無い過去が何によって自分の中に居るのか?

もちろんサンバを繋いできた先人たちの体験によって伝えられたものであり、

ホーダヂサンバで先人の作品を演奏することで繋がっていくということです。

 

そして、"o passado vive em mim"この言葉はパウリーニョ・ダ・ヴィオラ自身による言葉です。

Aメロでも解説したドキュメンタリー[Meu Tempo é hoje]の中で自分のキャリアを語る言葉として、

ドキュメンタリーのラストシーン、締めくくりで言われる言葉です。

当事60歳を過ぎていたパウリーニョ・ダ・ヴィオラですが、

私たちが今年パレードでパウリーニョの偉業として表現するような、サンバ史に残る数々の英雄譚‥

その思い出の中で生きることについて、そうじゃない、と言います。

 

彼が言うには、Meu Tempo é hoje、私の「時」はまさに今なんだと。

過去に生きてるんじゃない、過去が今の自分の中に生きているんだと、言います。

この哲学はパウリーニョのインタビューを読むと繰り返し語られています。

 

「昔の時代のサンバ、サンビスタの先輩のことが懐かしいのではないですか?」と、インタヴュアーに聞かれる度に、パウリーニョはいつもこう答えます。"não sinto saudades"「全然懐かしいとか寂しいとか無いんだ。」

彼は続けて言います。「人がpixinguinha(ショーロの音楽家)について話すとき、Zé Kéti(先輩サンビスタ)について話すとき、pixinguinhaもZé Kétiもすぐそばに居るように感じるんだ、私の祖父や祖母に関して話すときもそう、

そばに居るみたいなんだ、懐かしいとか寂しいとか思うことが無いんだ。」

明日は、Bメロをお送りします。