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カルナバ通信 Vol.3 歌詞に込めた思い③

みなさまおはようございます。カルナバ隊・サトキチです。

昨日はエンサイオ、おつかれさまでした!

 

この連休はエンヘードの解説集中連載です♪

来週からの練習やイベント、歌の意味が分かったらきっともっと気持ちがこもりますね!

今日はBメロ。

◎ざわーにょのエンヘード解説3◎

◎場面を切り替えてBメロに入っていきます。

 

Agora, o samba atravessa o oceano

Com as ondas da noite,nos trouxe poesia

Neste outro lado do mundo

A gente sambando,há todos anos

Como as estórias que alguém contaria

 

「今、サンバは海を越えて

夜の雰囲気と伴い、私達に詩情を届けた

この地球の裏側で

私達はサンバをしている

一年中‥誰かが空想で語った物語のように」

"agora"今という言葉と共に話題を切り替えて、マイナーキーに転調するこのBメロはブラジルで生まれたサンバと日本でサンバしている私達の関係について、詩の形式で語るパートとなります。

 

"oceano"はオーシャンのこと、太平洋です。動詞atravessarは大きく跨って越えてくるようなイメージです。

サンバは世界中で知られていますが、ここではどのように日本にいる私達に伝わったのかを表現します。

"as ondas da noite"は直訳すると「夜の波」ですが、これは夜のヴァイブレーションのことです。

夜になると気持ちがウキウキしてしまう感覚がブラジルの人には有るようです。

例えば私達にしても、夏祭りの日の夜の、日常とはちょっと違う感覚とか、

週末夜の繁華街に繰り出す感覚とか想像できるものがあると思います。それが夜のヴァイブレーションです。

パウリーニョは[Nas ondas da noite]というサンバを書いていて、代表的な曲の一つですが、

その中でこう歌っています。

 

-- Acende uma chama        火を灯すもの

-- É o som de um samba     それはサンバの音の響き

-- Que chega nas ondas da noite pra mim  僕にとって夜のヴァイブレーションを通じて届くものなんだ

 

このパウリーニョのサンバの定義通りに私達にサンバが伝わったというパウリーニョへのオマージュになっています。

届けたものは"poesia"詩情です。サンバの曲は歌詞が優れているとは昔から評されるところのもので、

幾千も曲がある中で歌詞はそれぞれ違うことを歌っていて、聴くことで異なった様相のイメージが沸き起こります。

イメージを沸き立たせる楽曲を指して「この曲は詩情がある」と言い得るでしょう。それが"poesia"詩情です。

 

そして今や私達は夏のシーズンだけでなくて一年中サンバをしているのですが、

「私達はサンバをしている一年中‥誰かが空想で語った物語のように」という表現は

今回の浅草パレードのゲストで参加する、ポルテーラのメンバーにとっても自分たちのこととして

主体的に感じられる歌詞になるように狙って構成されています。

 

ここで出てくる"estória"という言葉は"história"と音も意味も近い言葉です。

ストーリー、物語という意味ですが、"estória"のほうが旧宗主国であるポルトガルでは古くからある言葉で、

"história"という言葉を使うようになってから、意味の使い分けをするようになりました。

"história"は歴史とかその人の経歴とか、確からしい出来事について使います。

"estória"は空想上のお話、想像上のお話という意味合いがあります。

さて、ブラジルで生まれたサンバが地球の反対側においても一年中演奏されているということは、

誰も想像しなかったような出来事だったでしょうか? 違います。

実はそれはすでに想像として語られていた物語でした。

 

1935年にポルテーラがまだ前身の[Vai Como Pode]というグループ名だったころですが

"O samba dominando o mundo"--サンバが世界を席巻する--というテーマでパレードを行い

リオのカーニバルで初優勝を遂げました。

この時のカルナヴァレスコはアントニオ・カエタノで、

ポルテーラのオリジナルメンバーの一人であり、作詞・作曲家でもあります。

なにより、カルナヴァレスコとしてポルテーラにとって、

リオのカーニバルにとって大変な貢献をしたと伝えられています。

「誰かが空想で語った物語のように」というのは

アントニオ・カエタノがパレードに描いた、--サンバが世界を席巻する--という物語のことを指しています。

 

パウリーニョ・ダ・ヴィオラは時折インタビューでこう言っています。

「ポルテーラが最初に優勝したカーニバルで

アントニオ・カエタノは、--サンバが世界を席巻する--と予言した。

そして世界がそうなったかというと、私はそうは思わない。

確かにサンバはどこの国でも知られることとなっただろう。

私が1986年に日本に行ったときも、その地ですでにサンバカーニバルが行われていた。

でも、多くの場合、サンバのステレオタイプ化されたイメージが一人歩きしてしまっていて

元からあったサンバとは違うものになっているんだ」

これに対して、この曲の歌詞の真意としては、今自分たちがしているサンバは

1935年頃にやっていたようなオリジナルなサンバから連続性を持っているんだと、

私たちはそういう気持ちなんだという意味で、アンサーをする、マニフェスト(表明)をするという内容になっています。

 

また、この曲の冒頭で"vamos contar uma história"とあります。

そこで"história"という言葉を使っていて、ここで"estória"を使っているのは、

この似た言葉の意味の使い分けの微妙なニュアンスを楽しんでみようという狙いがあります。

これはパウリーニョ・ダ・ヴィオラの1982年のアルバムタイトル[A toda hora rola uma estória]が、

収録曲[Rumo Dos Ventos]の冒頭の一節に「A toda hora rola uma história」とあるところから

ちょっと変えて付けられていることに着想しています。

パウリーニョのこの言葉の遊びをオマージュしているという訳です。

明日は、Cメロ!

さあ、今日から2日間の北本2days、テーマアーラ作業がんばりましょう!!